2003.08.31
日本スナイプ協会理事長 澤村
Junior Worlds Snipe Class Championship
参加レポート(ロシア語はもちろん英語も満足にできない私なので思い違いがあるかも)
参加チーム 岡山大学 中田・北・山内 (大学2回生)
兵庫セーリングリーグ 西岡・森本 (高校2・3年生)
参加役員 SCIRA副会長・日本スナイプ協会副会長 山本
日本スナイプ協会理事長 澤村
劇場占拠事件、爆弾テロと社会情勢の物騒なモスクワでの大会で、連絡もままならないレース事務局モスクワセーリングスクール(MSS)とはどの様なところかと、心細い思いで出発したがスポーツビザのおかげで入国審査は短時間で済み(一般者は10分ほど)空港までの迎えも連絡通り、現地では言葉の不自由はあったが、食べる、寝る、レースするのは問題なく、いくつかのトラブルはあったものの、アッと言う間の楽しく充実した8日間で、一運営員から見た報告です。
スケジュール
11 日 9:40 関西空港発 フランクフルト着 14:55 市内めぐり後 宿泊
12 日 7:15 フランクフルト発 モスクワ着 12:15
14:30 MSS着 参加申込み、宿泊手続きなど
15:30 チャーター艇受け取り、計測後艤装
17:00 スキッパーミーティング
19:00 開会式セレモニー
13日 11:00 第1レース (第2レースが予定されていたが翌日に延期)
14日 11:00 第2レース 引き続き第3・4レース
15日 11:00 第5レース 引き続き第6レース 17:00~23:00 モスクワ市内観光
16日 11:00 第7レース 19:00 閉会式セレモニー・表彰式
17日 7:00 モスクワ発 フランクフルト着8:25
13:50 フランクフルト発 関西空港着 8:10 (8/18)
日記
11日 関空では晴れ
希望日のビザが取れずフランクフルト1泊後翌日モスクワ入りとなる。フランクフルトのホテル到着後時間があり、鉄道で空港駅から市内へ行こうとするが乗り方がわからず、日本人らしき女性を見つけて教えてもらう。あとでこの人は先ほど降りた飛行機のスッチーとわかり大会での健闘を励まされた。
フランクフルト駅(始発・終着)は、私が憧れていたヨーロッパのビッグな駅で、ホームが12もありアーチ型で巨大な三つの大屋根にあきれるばかりだった。高校生達はキオスクらしきところでアイスクリームを買い、おいしそうに口の中へ。市内をぶらつきながら日本食レストランを発見、和食ともしばらくお別れとなるので今夜はここで食べる事にした。
12日 フランクフルトでは晴れ
早朝4:30に起き空港へ、モスクワ空港では事前情報で仕入れた煩雑な入出国の手続きと異なり割合スムースにゲートを通過でき、出迎えのマリア(日本へレースに参加するため東京と福岡に来たらしく10代後半のカワイイ女の子で現在ヨーロッパ級に乗っている)にも会えホットしながらモスクワセーリングスクール(MSS)へ。
MSSは空港からは15分程度でモスクワ市内から40分ほどの郊外にあり、ゆったりした敷地のなかに事務所、食堂初め15棟ほどの建物があるスポーツ村の雰囲気で、ゲートがあり一般の人は許可無く入れないようである(後日、現地に住む選手の知人が面会に来ることができた)。岡山チームの艇は、ほぼ新品で問題はなかったが、兵庫チームの艇は新しいがキズがいくつかあり、事にバウのキール部分には直径4p深さ7mmほどの、えぐり取られたようなキズがあり修理しなければならなかった。レース事務局にクレームをつけても進展の見込みが無さそうで、自分たちで修理しようとしたとき、アメリカチームが協力してくれ素早く修理できた。彼らの使用したゲルコートは紫外線で硬化するらしく直射日光の当たるところへ移動させ10分ほどでペーパー掛けができ、大いに時間の節約ができた。このアメリカチームは今大会で優勝してしまった。
大会のためロシアは24艇もの新艇を用意し、体育館ほどもある艇庫には、従来からある程度の良い艇を会わせると40艇以上ある豪華さで、かつての国体を思わせるほどである。この艇庫にはスナイプ協会顧問の松本様がロシアに寄贈されたオクムラ製のスナイプ3艇が置かれていた。
一段落した折り、事前に事務局へ運営の手伝いをすると伝えていたところ、思いもかけずSCIRAのクーパー氏からプロテストを手伝うように言われ、英語もロシア語もできないといったところ、ノープロブレムで片づけられてしまう。19:00からの開会式セレモニーは軍隊の音楽隊が参加し終盤では打ち上げ花火まで催される盛大さであった。日が長く夜8時を過ぎても明るく、つい夜更かしをして時差ボケの頭がボーとしてしまう。
13日 曇り一時雨
モスクワには多くの運河があり地中海までつながっているそうで2000トンはある4階建ての観光客船が行き来する事ができる。運河の広くなった所が目的地で、ハーバーを出て1時間あまりの曳航でやっとレースエリア1に到着、先ほどの観光船や砂船がレースエリアの脇を通過していく。周囲はなだらかな丘で森や芝生があり湖のようだ。空模様が悪く底冷えのする寒さで、折からの小雨で足もとから冷えプロテストのゴムボートに居るのは辛い。
第1レース11:00のスタートは風が弱く延期され、13:00 70°軽風でスタートするもゼネリコとなり、そのまま風が落ちゼネリコ旗のまま。昼食は選手、運営共に艇の上でとる、パン、チーズ、サラミソーセージ、バナナ、リンゴ、あまーいジュース、ミネラルウオーターで堅いパン以外はおいしく食べられた。
16:00 270°軽風 ゼネリコ後のスタートとなる。レースエリアを良く知っているロシアチームが終始リードし1時間20分ほどでフィニッシュ。2・3位のアルゼンチン2チームは追いついては離されるキツイ展開であったが実力を持っていそうだ。今大会のコースはレースエリアが取れず、全てWコース3周で上マーク・下マーク共にオフセットマークが打たれマーク付近の混乱を防いでいる。このレース中に2チームがロッキングでペナルティーを課せられ720°回転をした。本部船と観覧船は30フィートほどのモータークルーザーで、中で温かい飲み物を飲んでいる人たちがゴムボートから恨めしい。時間切れで今日はこの1レースのみであった。レースが終了するやプロテストは真っ先にハーバーへ。16:00迄の風待ち中に地元ロシア艇がたびたび運営艇に近づきハーバー帰着後警告を受ける。国内でも同様のケースを時折見るが要注意である。
昨日、事務所に部屋割りに不満がある、明日から変更して欲しいと申し込んだが返答無し、繰り返し言ってみるが無視、夕刻に突然希望通り部屋を用意してくれた。少し日本チームに気を使ってくれたかな?
14日 曇り一時雨
大会ではレースエリアが1,2,3と三つ予定され、今日はハーバーから30分くらい曳航のエリア2で、3レース行われる。昨日の寒さがこたえ持参したほかほかカイロを背中へ入れ大いに助かる。
第2レース11:00 325°軽風 2回のゼネリコ後Z旗でオールフェアスタート。中央付近に集団ができるも、ロシアチームは上スタートしてすぐタックし右水面へ、これに気づいた上位チームも右へ。今日はエリアの右側に強弱はあるがよい風があり、この風を上手く捕らえられるかであった。ロシア、アルゼンチン、アメリカが競り合いトップが二転三転し結局アルゼンチン1位、ロシア2位、アメリカ3位であった。フィニッシュライン付近の運営艇、プロテストから接戦を戦った上位チームに大きな拍手が送られた(全レースとも拍手を送って選手をたたえていた)。このレースでプロテストはロッキングのペナルティーを1チームに課した。他に1下で接触がありオー神様ノー、他にも上マーク回航でポートで強引に入ってくるものがあり、日本チームも抗議が成立しそうなケースがあった。
第3レース13:00 325°順風 1回のゼネリコ後Z旗でオールフェアスタート。その後風が上がりフリーで、オーノー 日本チームが沈、プロテスト委員長自ら現場へ、起こした後ノープロブレム。彼らは徐々に挽回し20位まで上がる。
風が吹き出すと南米のブラジル、アルゼンチン、アメリカが強く、日本チーム艇の修理に協力してくれたアメリカチームが、1位になった。フリーでヒールさせ、かなり上り気味で走っていたのが印象に残る。
第4レース14:45 325°軽風 オールフェアスタート。各国の走りを見てるとアルゼンチンはマストを少しベンドさせやや浅いセール(日本チームより深い)、ロシアは直のマストで深いセール、アメリカはこの中間と言ったところ。自分たちがよいと思うことをやっている。上位チームには目立つほど大きな選手はおらず日本の大人と変わらないが、一時強風になった時もフラットに良く起こしている(上まで15分くらい)。軽風以下では大きくヒールを掛けVボトムの片側が水平になるほど。また順風までの追っ手ではブームが水平になるまでヒールを着けかなり前に乗っており、ウエザーが強くなりまづいのではと思うが早い。アメリカチームはクルーがサイドステーの前で後ろ向きに座ってスターンを浮かせていた。
このレースで1チームがロッキングで720°ペナルティー。レース後ゴムボートに不満を言いに来る。ロッキングは続けて1回、2回、3回でアウトもしくはそれ以下の2回でも繰り返してるとダメのようだ。今日はマーク付近で混乱した上、接触もあり、プロテストが忙しいのではと、ハーバー帰着後ワクワクしながらレースオフィスへ行くも抗議無し、レース委員長にケースがあったのにプロテストしないのかと言った(つもりだ)が、アメリカ人が良くする両手を広げる仕草をするだけで・・・ノーコメント。
今大会のプロテストメンバーは、
IJ Chairman Means Davis IJ
USA (スウェーデンの2003スナイプワールドと同じチェアマン)
Marco Alberti IJ Italy (大柄なイタリア人で私と背も気も合いそうにない)
Sergey Kuzovov IJ
Russia(ロシア語、英語とも堪能で通訳としても活躍するロシア人)
Valeriy Pilchin NJ Russia(おしゃべり好きなモスクワヨット界の若い幹部?ロシア人)
Haruo Sawamura
NJ Japan (会話に入れずとも、ガマンしていた私)
以上5名であった。
夕食までかなり時間があり空腹になったのでスープでも有ればと食堂へ行く。まかないのオッチャン、オバチャンがダベッテおり、ダメかと思っていたところオッチャンがシチュウと言って用意しだし、とりにく、サケの切り身を電子レンジでチンしてくれ、ハラの足しのつもりが夕食に早変わり、おまけに今夜外のテントでバーベキューがある,みんなのためにビールと子牛を一頭用意しているとの情報まで。感激のあまり、高校生チームの父兄より選別にいただいた扇子と日本手ぬぐいをプレゼント、大喜びであった。ちなみに「この食堂は選手用で、役員は別の所」を、今日知った。後日、オッチャンはただのオッチャンでなく全ての料理を取り仕切る人と言われおどろいた。
15日 晴れ一時豪雨
2日目以後は割合近いエリア2となり、今日は天気も良く暖かい。2レース行った後モスクワ市内観光である。昨日まで記録を取っていたが昨日のプロテスト無しの件があり気が入らず記録が少ない(選手の皆さんごめんなさい)。
第5レース11:00 風が無く延期となる。ここの岸辺には鳥と魚の博物館(?ほどでない)があるとロシア人プロテストのValeriy Pilchin が案内してくれ退屈な待ち時間を有効利用してくれた。このエリアは冬になると氷が1M以上の厚さになりアイスサーキット場として自動車が走り回るそうだ。余談だが、彼は英語のできない私に良く話しかけてきて、
知人が近くに別荘を建てている、ほらあそこ景色がよく秋には完成する。その向こうには新しい別荘地ができだした。
ハーバーに帰るとヨットの月刊誌(以前のヨッティング誌みたい)をプレゼントされ、スナイプの記事を開け写真入りで大きく取り上げているだろ、モスクワには49erはないがロシアには数隻有りとても難しい、大型艇はウラジオストックに多くありこの写真の艇はコンピューターを搭載する高性能のビッグボートだ、と言った具合である。
第5レースは軽風180°で昨日とは異なった風向だが風上右側に時折パフが入る。ロシア艇はすぐタックして右海面へ、集団も右海面に移っていく。2周目上に向かうところで軽風が微風に変わってしまった。とくに左水面の風がかなり落ち風向も大きく振れた。南米チームの多くがこの水面を走っており順位をおおきく下げた。アメリカチームは中間コースから、あまり風の落ちていない右水面を利用し1位と上がる。運もあったが変化の多いレースエリアの風を上手くとらえた。
第6レースも軽風180°上マークを2度打ち替え運営もなんとか良いレースにと努力している。アメリカ、アルゼンチン、ロシア、ブラジル、スペインと各チームが競り合い向こうがのびた、こちらも角度がいいと今大会で一番の接戦であり、プロテストながらも見ていて楽しい。今日軽風の2レースで勝敗が決まってしまった。アメリカチームの優勝である。
ハーバーに帰って間もなく空模様が一転スコールのような豪雨である、モスクワでは時折あるらしい。8件抗議があり内7件は同じ内容で実質2件である。1件目、スタート前本部船近くの強引な割り込みでプロテストも見ており抗議成立。2件目(7件)は「SCIRA選手権大会運営規定にある・・・風向の変化が持続した場合・・・再レースまたは中止しなければならない」で、レースエリアの左側1/3が一時大きく振れた。風の変化を受けた南米チームの多くが抗議を出し、あんなに風が振れたので中止にすべきだ、持続する時間とは何分なのだ、運営船に風向の記録はあるのか、等々。Race Committee
Chairman Vadim
Pribylov氏も風について証言を求められ、審問が続いた。結論「全体の風向が振れておらず、時間も持続したと言えるほど長くなかった」と却下された。今回プロテストを担当し、言葉が判らず会話のできない私ながら、レースエリアでは言葉が無くとも意志の通じ合うものがほとんどで、審問の場にても抗議書とルールブック、模型を使う説明で内容は判りやすかった。問題はこちらの意見をどの様にして相手に伝えるかで、第6レースの風向に関する抗議では、簡単な絵を示し意見を述べた。気の合いそうにない相棒のプロテスト Marco Alberti も丁寧な絵を描いており、やっている事は同じだと思わず笑顔に、説明が通じたようである。選手達の抗議は執拗でしっかりした発言をし、納得できるプロテストの説明が必要であり、納得できればあっさりしている。言葉の判らない選手には運営側や、コーチが通訳に同席が認められる。海外での抗議は大変なエネルギーを要するが、納得できずに不満を言う前にすぐ抗議するのがよいし、プロテスト初め運営者の顔や考えがわかるメリットは大きいと思う。
プロテスト終了後の夕刻、先ほどの抗議者、被抗議者、コーチ、役員など大型バスに乗りモスクワ見学へ。南米のチームはにぎやかで、バスの中で騒いだり、ガイドをからかったり、運転手が怒りだし「降りろ!」おとなしくなるが一時だけである。道巾は広く、高速道路も多く渋滞もある。町並みはヨーロッパと変わらず、植木や林もあり落ち着いた雰囲気で写真も行動も自由である(私は不勉強で規制があると思っていた)。教会と美術館、運河が多く、高いテレビ塔、巨大なドーム式陸上競技場などが目につく。市内の丘を利用したスキーのジャンプ台、ここは電飾があり町中の眺めも良く観光客も多いしデートスポットのようである。赤の広場は入口に衛兵が立っているだけで、テレビで見るようにだだっ広い広場とおみやげ屋さんがある。かくして4時間ほどの車窓見学である。
16日 晴れ (最終日)
第7レースも軽風210°。優勝の決まったアメリカチームはスタートエリアに来なかった。下有利でゼネリコとなり、選手同士で罵声の応酬となる、すかさずプロテストボートから大きなホイッスルがあり選手一同冷静になる。ホイッスルの吹き方、大きさ、タイミングと言い勉強になる。このレースでは2位争いをするロシアチームが、1上までのコースが裏目に出て大きくミスリながらもケツ5の位置から地道に12位まで上げてきたのは驚きであり、彼らの勝負をあきらめない姿勢に敬服する。
レース後、ハーバー近くの運河でスナイプに乗る機会があった。閉会セレモニー撮影のためヘリコプターが旋回する上空を気にしながら、軽風の中セーリングを楽しんでいると運河の中程に杭が2本立っている。ちょうど良い目標とばかり近づき回航中、急に誰かが引っ張ったな!! そう、この杭は浅瀬の案内なのだ。巾1000Mは有る運河なのに。ハーバーに帰るとラジオインタビューが待ちかまえていた。日本にも放送が流れるそうだ、はてやNHK?と思いきやロシアの海外向け放送のようだ。プロテストの Valeriy Pilchin が、プロテストをするのでオフィスへ行こうと寄ってくる、私をプロテストの一員と認めてくれているようだ。最終レースのプロテストは下マーク回航中の接触1件である。3艇のうち内側艇と中間艇が接触したもので内側は中間を、中間は外側を抗議したもので接触はなかったものの外側艇が失格となった。
閉会セレモニー後のパーティーでロシア人 ローマオリンピック スター級 金メダリストの近くで食事をした。70代後半の落ち着いた中背で小太りの紳士である。夫人と同伴で時折私の名前を呼んでくれるようだが、ナカムラに聞こえて仕方がない、でも声をかけてくれうれしい。ロシア式の飲み方は、演説をブチ上げたあとウオーレ、ウオーレ、ウオレ、ウオレ、ウオレ(に聞こえる)と5回繰り返し飲む。一通りロシアとSCIRA関係者が演説した後、日本チームは明日帰ると紹介された、演説をしろと言うことかなとかってに思いこみ、日本語で賛辞と感謝と伝える演説をブチ上げた。パーティには通訳が同席しており、彼は日本語ができず自分の思いこみでロシア語に変えていたようだ。大会中、かっての日本の戦争に関する会話が二つあった。この通訳の祖父は中国人で、「祖父は日本人と戦場で会った、しかし今あなたと私はこうして仲良く会うことができる、スポーツとは大変いいものだ」と熱心に言っていた、少しは国際親善に役立ったかも。ロシアは2012年モスクワオリンピック誘致を考えているようで、日本チーム初め各国選手が大会とロシアにどの様なイメージを持っているか、モスクワでの印象は良かったか、など気にしていた。
17日 モスクワ 曇り
4:15起床 4:30出発 こんな早くに車を手配してくれているのか心配になりながら事務所へ。オー、トランクを開けて待ってくれているではないか。感謝、感謝。空港での出国検査が厳しいと聞いており落ち着かない。案の定、係官に呼び止められ間仕切りの向こう側へ連れていかれ、全て出せと手帳、財布、ハンカチ・・・・ボーデーチェック、財布はいくら入っているか中まで見る。どきどきしているとOKと全て返してくれ、ホットした。いよいよ飛行機だ。
前日早く寝たいのにアルゼンチンコーチに飲まされ、山本さん曰く「96年の西半球に行ったのか?」の問いに澤村は、明日早朝に日本に帰ると言っておりトンチンカンな会話だったと言われる。私のロシアモスクワの報告はこの様にトンチンカンな思い違いが多く有ると思われますのでご容赦願います。
5月に岡山大学チームが大会参加希望を申し出られ、未成年の世代が少ないスナイプにあって大きく勇気づけられました。
兵庫のJr高校生はスナイプの経験が無く、気になりましたが熱心なご父兄が中心になり新西宮の甲南大学初め、関西大学、関西学院大学、各校のOB、および関係者のご協力により1ヶ月弱の練習で17位の成績を上げる事ができまました。
モスクワは結構居心地がよくまた行ってみたいところとなりました。 以上ご報告まで。