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徒然なるままに〜

<第12回>修行中〜SNIPE WORLD 2003 報告〜

 

2003年8月8日。その日、その一日だけ、彼らはこの惑星上で最速のスナイプセーラーとなった。


2003年国際スナイプ級世界選手権がスウェーデンで開催され、日本から8チームが参加致しました。私もその選手の一人です。優勝争いがほぼ絞りこまれてきた第6レース。セールに“JPN”を貼り忘れて、現地に来てから他の選手に白いリペアクロスを貰って、セールナンバーと同じ緑色に塗りつぶそうと街で購入したスプレーが、塗ってみると黄色だったという、ちょっとネジが数本抜けている日本人ペアが、一上からトップで回航し、後続の優勝争いをするトップグループを押さえ切り、そのままトップホーンを鳴り響かせました。京都産業大学の宮口・小林組です。
すばらしい快挙です。世界選手権でトップを取るということは、すごいことなのです。現場に立ち会った人にしか、その雰囲気は分からないかもしれませんが、ワールドでは各レースでトップフィニッシュを果たしたペアは必ず表彰され、表彰式でスゴイ喝采を受けます。「せめて1レースだけでもトップを取れたら…」と、選手はみんな思います。日本の選手では‘95年イタリア大会の志賀・丸山組以来のことです。こんな偉業を学生ペアで実現してしまうなんて…。

今大会には、宮口・小林組以外にも、橋本・大東組(中央大学)が学生として参加しました。彼らも初日2レースが終って総合9位。大会前半は彼らが日本チームを引っ張り、刺激を与えてくれました。宮口・小林組はトップ一回だけで後は全然駄目の一発屋(ごめんなさい)でしたが、橋本・大東組は後半に調子を落としたものの、粘りのある帆走をみせ、最終成績は24位と、初めての世界選手権としては、まずまずの好成績を残したと思います。

今回の世界選手権は、学生選手が伸び伸びと快走してくれて、学連強化担当理事と致しましては、わたし個人の指導の成果が十分に出たと喜んでおります。何も強化していませんが…。

ちなみに、学生以外の社会人選手の成績に関する責任は、強化担当の安部理事にあるということで、参加選手の意見は一致いたしました。(安部さん、冗談です。真剣に怒らないで下さい。)

レース期間は8月4日〜9日で、レイデーを間に一日はさんで、全7レースが実施されました。大会の開催されたランドスクローナという街は、スウェーデンの南西部に位置する、ヨーロッパの避暑地的なところです。スコーネと呼ばれるこの地方は、北欧最大の穀倉地帯で、廻りは畑ばっかりです。都会も田舎も、小さな民家も大きな建屋も、殆ど全てが古いレンガ造りで出来ており、おとぎ話のような風景が広がります。
地形的には、陸地はなだらかな丘になっており、海岸は200m沖くらいまでは水深50〜100cmくらいの遠浅。ハーバーの対岸に島があり、その奥には隣国のデンマークがスナイプでも渡れそうなくらい近くに見えます。非常に速い潮流が発生し、対岸の島に近づくと水深が途端に深くなるので、沖と岸際で大きな潮流の速度差が発生します。


私達ペアは7月26日夜に現地へ到着し、27日午後に艇を受け取りました。今回は何を思ったのか、一度も乗ったことの無いスキッパースナイプというスウェーデンにあるビルダーの新艇を購入し、現地で受け取りました。最初はチャーター艇で参加することを考えていたのですが、現地でチャーター可能な艇の状態が余り良くないという情報が入ってきたので、大会直前になって、貯金をはたいてピアソンの新艇を買うことを決意したのです。が、ピアソンはオーダーが一杯でワールドに間に合わないと断わられた。しかし、新艇を買う気満々になった私の気持ちは納まらず、スキッパースナイプ購入を決意しました。
他の日本選手は皆、スキッパースナイプをチャーターしたのですが、結局3艇は30000番台、その内2艇は全くの新艇ということで「もしかして私、飛んだ無駄遣い?」というマイナスイメージを押し殺すのに一生懸命でした。

ですが、落込んでいても仕様がありません。取り敢えず、初めて乗る艇なので「どんどん乗り込んで感覚を確かめなきゃ!」というところなのですが、ここで残念。実は私、出発一週間前に腰痛が発生し、MRIでの診察を受け、「椎間板ヘルニアです」と診断されていたのです。炎症鎮静剤の投与と通院によるリハビリを出発ギリギリまで継続して、なんとか痛みが取れてきたかな〜と思ったら、15時間の飛行機での移動により、更に症状は悪化。スウェーデンに到着したときには、ヨットに乗るどころか、自分で靴下も履けないくらいの激痛でした。このコーナーで皆さんに向かって、「体調管理が大事」とか「事前準備が全て」とか偉そうなことを書いておいて、書いた本人がこれでは最悪です。という訳で、最初の3日間は整備だけ。整備と言っても、私は口で整備したいことを喋るだけで、作業は全部パートナーの山崎さんにやってもらいました。しかしながら、スポーツトレーナーである私の奥さんに教えてもらった腰痛リハビリストレッチを継続し、殆ど安静で過ごすことによって、なんとか30日には「ちょっとくらいなら乗れるかな〜」という具合に回復してきました。乗艇するときは、それから大会が終るまで、コルセットと生ゴムバンドをパンパンに巻いた状態でのセーリングとなりました。

でも一番辛かったのは、ビールが飲めなかったこと。回復の妨げになるということで、自宅の近所にある“腰痛の名医ベスト50”に入ると言われる(誰が言ったのだろう?)永田整形外科の永田院長と、私の奥さんに強く禁止されていたからです。結局、レース途中から腰の調子も良くなってきたので、ちょこちょこ飲み出して、レースが終った日には記憶がちょっと途切れるまで飲んでしまいました。あの日の私の暴れぶりに着いて来てくれたのは、日本では大東君と宮口君だけでした。大東!また飲もうぜぇぇぇ!宮口!少しは酒に強くなれよぉぉぉ!

という訳で、長々となりましたが「体調管理が大事」「事前準備が全て」ということが言いたかったのです。

 

話しは戻ってスキッパースナイプのこと。艇番は30185。マストはプロクターミラクル。取り敢えず、スプレッダーの長さとディフレクションを日本で練習しているピアソンの時と同じにして、シュラウドレーキ、レーキ値も合わせて出艇してみる。ピアソンと比べるとバウは非常に軽い感じ。ややピッチングし過ぎる感もあるが海面がどんなに吹いても平水面なので気にしない。センターボードの位置はピアソンとほぼ同じなので、タック等の艇回転の感触も変わらない。使用するセールはノースセールのN7とV10。他の日本人選手達と走り比べてみると、角度もスピードもイマイチだった。同じスキッパースナイプなので、艇のせいには出来ない。原因を考えてみる。日本で練習しているピアソンの各ポイントを計測していたので、それを基に違いを考えてみる。

乗艇した感触としては、リグが柔らかく、サギングも多く感じられ、ブローに入った時に“ググッ”という伸びが無い。デッキレベルでのマスト前後位置も、いつもより後ろに下がっていて、プリベンドが出ていない。サイドステーチェーンプレートの左右位置がピアソンよりも約20mm広く、前後位置も一番前だと5mmほど前過ぎる。このことより、セッティングについては、スプレッダーの長さを5mm伸ばし、サイドステー前後位置を1ピン後ろに下げる。トランサムの上縁ラウンドが約10mm大きかったので、レーキの数値をその分だけ落とす。これによりデッキレベルでのマスト前後位置も練習の時の位置とほぼ同じになった。当然ながらマストステップ位置も自分で計測し直し、ルールのMAXフォアードであることを確認する。ジブリーダーの左右位置がピアソンよりは距離が開いている為、また平水面の場合が殆どの為、ジブリーダー位置を少し後方に下げてみた。

このことにより、31日の練習では、いい感触で帆走できるようになった。同じスキッパースナイプ新艇をチャーターしたブラジル選手と同等、もしくはそれ以上の艇速が出せていることが確認できたので、ボートについては、これで良しとした。

8月1日は計測。日本選手は皆、朝一番から順番を取って早く終らせようとするが、スペインとイタリアの計測員の偉いオジサンたちが計測しながらガヤガヤ口論しだしたり、旧友に出会うと計測を中断して抱き合って昔話に花が咲いたり、と全然進まない。でもイライラせずにその場の雰囲気に合わせて待つしかない。午前中で計測を終えて、午後に軽く練習する予定だったが、結局計測が完了したのが夕方前。朝の9時から始まって、私達は5番目だったのに…。

2日も、腰を気遣いながら、ちょっとだけ練習して…、と思ったのですが、朝から雨で気分が乗らなかったので観光。そして、この日に到着した家族を空港まで迎えに行きました。3日はトライアル。レース運営の形態、スタートの雰囲気、レグの長さ、ボートスピードの状況、というところを確認して「調子は悪くない」と判断し、2下を回航した後でリタイア。

という訳で8月4日、本番を向かえる。

大会の前半は北からの6〜8m/sの風で行われる。殆どのレースが、スタートライン本部船側に艇団が集中する形となり、ゼネリコが繰り返される。なぜかというと、ブローが右奥から殆ど必ず最後には降りてくることと、左海面は向かい潮が強くて全然伸びないから。このことが第一レースから気付いていればいいのだが、認識したのは第一レースを経験してから。第一レースでは上艇団の下からスタートし、左に展開。左海面では潮が強くなることはある程度予測はしていたので、なるべく左には行かないようにして艇団の左側をポートタックで展開。レグの中盤までは「これ、トップで廻れそうだな〜」と思えるような好位置。しかしながらドンドン艇速が止まってくる。藻でも掛かっているような感じ。気付いたら右奥の艇団がドンドン伸びて、グングン前を切って行く。この時点で左海面の潮流が予測以上に速いことを認識。上マーク回航順位は50位くらいと思われたが、ここで神様の思召し。右から伸びてきた艇団は左の潮流の速さを知らない。皆流されて上マークを回り切れず、大混戦となる。ここで私達はマークタッチをしながらも、順位を回復。その後のレグでも順位を徐々に上げて、19位でフィニッシュ。

第2〜5レースも海面は同じようなコンディション。第2・3レースはリコール艇団を避けて、スタートライン真ん中からスタートし、艇団がバラけてから徐々に右に返していくという展開をとる。1上順位は最初から右に伸ばした艇団には適わないので20位前後くらい。そこから残りのレグで順位を上げて、2レース目は11位、3レース目は5位。

ここまで調子が良いと、欲が出てきます。欲が出てくると良いことはありません。案の定、これまでと同じ展開でスタートライン中央付近、艇団の下側からスタートしようとしたら、スタート直前に風軸が右にバックリ振れて、バックリ全艇にやられてしまいました。世界選手権は恐い恐い。1上は54位。後ろの艇の数が直ぐに数えられました。世界選手権の恐ろしいところはこれからです。この順位から、さらに順位を落としてしまうのです。2上順位は56位。フィニッシュは何とか49位まで上げましたが、レベルの高いレースは本当に恐いです。ちょっと調子が良くて、「おっ、もしかして優勝争いとか出来ちゃうかも…」とか考えていると、一気にしっぺ返しが来ます。

5レース目は無理して本部船側からスタートしました。このレースは潮の流速が納まって、左海面も伸びたので、ちょっと後悔。1上の手前、スターボのアプローチラインではシングルくらいに位置取っていたのですが、ちょっと風上艇にブランケットされたので避ける為に2タック入れたら、このタックで失速して、一気に40位くらいまで落ちてしまいました。繰り返しますが、世界選手権は恐い。でも腐らずにフィニッシュまで頑張って26位。

第6・7レースは、これまでと変わって岸からの風。6レース目はスタートで失敗して、宮口・小林組の快走を遠くで羨ましく眺めながら24位。最終レースも1上は40位くらいでしたが、シフトが大きく難しい海面だった為、これを上手く掴み切って15位までジャンプアップ。ということで今年のワールドは、おしまい。総合成績では13位となりました。

今回のレースに対しての目標は、

@全レースを20位以内に納めること
A前半でカットレースを作らないこと
B総合で10位以内に入り、入賞を果たすこと

としていました。@とAは達成出来ませんでしたが、Bについては帆走指示書に“15位までが入賞”と書いてあったので、あっさり15位以内に目標を変更。なんとか目標を達成しました。いや〜良かった、良かった。
成績に“満足”はしていませんが、現在の私達の実力からすれば“納得”は出来ました。「5レース目の、あの2タックが無ければ、総合10位以内に…」とか、タラレバではありますが、ハッキリと明確な“敗因”も認識することが出来ました。
今回は本当にボートスピードが良く、全レースについて1上順位からフィニッシュ順位を上げることが出来ましたので、自分達の成長を十分に感じることが出来ました。

 

今回の優勝はAugieDiaz/Jon Roger組(USA)で、昨年の西半球選手権、シニア世界選手権の主要大会優勝と併せて、史上初めてのグランドスラムを達成致しました。ちなみにAugie Diazは今年で50歳になります。合計28.75点ですから、1レース平均約4.8点。私が全日本で記録したことのある最小平均失点とほぼ同じですから、ワールドでこの点数を叩かれたら勝てる訳がありません。

2位はGeorge Szabo/Brian Janney組(USA)。彼らはカットレースが無ければブッチギリの優勝。非常に安定した走りでした。ジョージはクアンタムに勤務するイイ奴です。僕らも3年前の西半球ではコイツ等に勝っているんだけどな〜。

3位に入賞したのはFrancisco & MarinaのSanchez兄妹(スペイン)で、彼らは未だ医者を目指す22歳と20歳の学生さんだそうです。スナイプという艇種が、老若男女に関係無く競い合える、奥深いものであることを再認識させられました。

前回チャンピオンのAlexandre “ハゲチャビン” Paradeda/Eduardo Paradeda組(ブラジル)は、クローズもフリーも素晴らしいスピードを見せましたが、総合4位に終りました。第1レースから20位(私達にも負けちゃった)を叩き、第5レースではリコールもしちゃいました。リコールした後、運営に抗議を出して、ビデオを見せられて、どう観ても禿げ頭がクッキリ映っているのに、「それはスペイン人だよ」とシラを切っていたそうです。そんな目立つスキンヘッドはスナイプ界には君しかいません。抗議が却下された後、宿舎前の芝生で寂しそうに一人でサッカーボールを蹴っていました。

 

結果を通して見ると、今回はアメリカ選手の躍進が非常に目立ちました。ここ2〜3年で恐ろしくトレーニングしてきたと思われます。今迄は南米諸国が世界タイトルを独占していたのですが、別に南米の選手が下手糞になった訳ではありません。彼らのシフトに合わせてちょこちょこタックを返すスタイルが今回の海面には合わなかったみたい。タックを返す度にポジションを悪くしていく光景が数回見られました。逆に北米の選手は、コース展開について「いいレーンに乗る」とか「レーンから外れた」という表現をし、風の大きな変化の流れに乗ることを好む傾向があります。今回の海は後者の方が確かに良かったみたい。でもアレックス・ハゲチャビンも最終レースでは1下を30位くらいで回航しながらも、その後のシフトを上手く掴んで、フィニッシュではトップまで上がってきました。やっぱり彼等は上手い。

ハード面で見ると、ブラジル、スウェーデン、日本がスキッパースナイプで、あとは殆どがピアソン。マストはサイドワインダーのスタンダードが多かったのかな〜という感じです。今回もあまり他の艇は観察していないので詳しいところは分かりません。でもスキッパースナイプは結構良いですよ。出来栄えの綺麗さはピアソンとは比べ物になりません。輸送に時間が掛かるので、日本のレースで皆さんに御見せ出来るのは、来年になると思いますが…。人とは違った艇を購入したいと思う方は、候補に入れても良いかと思います。スピードは上位2チームがちょっと頭を出していて、あとは皆一緒くらい。艤装に関してはAugieがちょっと変わったトラベラーシステムを使っていたくらい。どんなシステムかは、ややこしいので説明しません。

セールはクアンタムが非常に多くの割合を占めるようになりました。ジョージの営業活動の賜物でしょう。アレックス・ハゲチャビンは470ャンペーンとも絡んでオリンピックセールを使っていました。

まあ、やっぱり道具じゃないですね、レースの優劣は。腕の差です。

 

今回の日本チームは選手以外にも、選手の家族、友人が沢山応援に来てくれました。私と山崎さんの奥様達は、生活面のフォローを十分にしてくれました。ありがとうございました。奥様達のお陰です。いや〜、本当に奥様は偉い!

滞在中に誕生日を迎えた3歳の松崎家御子息と1.5歳の山崎家御子息は、私達の緊張感をその暴れぶりで無理矢理解消してくれました。その分、レース中には、松崎・森田・山崎・井田の奥様お子様ツアーで観光を楽しんでいましたが…。

日本選手の殆どが大会側の用意してくれた格安コテージに宿泊しました。北欧では外食が非常に高価な為、殆ど毎日自炊です。コテージには自炊できる道具はすべて準備されていたのですが、テレビ、ラジオ、電話はありません。もちろんパソコンもありません。一日のスケジュールといえば、朝起きて、朝食をとって、奥さんにコンディショニングストレッチをしてもらってから、ハーバーに出発。艤装して、出艇して、レースして、レースが終ったらスーパーに買い出しに行って、シャワーを浴びて、夕食を食べて…。夕食は各ペアで食べたり、日本選手や海外の選手と集ってバーベキューをしたり。北欧の夏は白夜です。9時半くらいまで明るいです。でも夕食が終ったら何もやることがないのでストレッチをしてから10時くらいには寝ます。寝ようとすると、宮口選手が 「井田さ〜ん、ちょっと質問して良いですか〜。」と私の生活を邪魔しに来ます。で、宮口選手は私の奥さんに私生活のことを質問攻めにされて、たじたじになって帰って行きます。あ〜、なんて楽しい北欧の生活。

総合24位に入った橋本・大東組、トップフィニッシュを果たした宮口・小林組。彼らが日本で一番速い学生スナイプセーラーと言い切れる訳ではありません。しかしながら、毎日毎晩のように私や他の日本の社会人選手にアドバイスをもらいに来たり、海外のトップ選手の動向を観察したり、出来ない英語で話しかけてみたりと、彼らのセーリングに対する姿勢は、私達オジサンでも見習うところが多くありました。

再来年、2005年の世界選手権は、愛知県蒲郡市で開催されることが正式に決定した模様です。彼らのような選手が増え、私達を踏み台にして成長し、日本の国内でも もっと高いレベルで競い合える環境が出来れば、たった一回のトップではなく、総合成績での一番のてっぺんに、日本の選手が立つことも夢ではないと思います。
宮口選手が現地で着ていたTシャツには、胸に大きく「修行中」と書かれていました。日本の街で見掛けると、非常に恥ずかしいTシャツですが、その3文字が北欧での想い出として、非常に印象に残っています。

まさしく私達は今、修行中です。まだまだ修行が足りません。皆さんも2005年蒲郡ワールドに向けて、一緒に修行に励みましょう!

以上